Get Over 5

(パターンA)




『ん…あ、ん…く、やめろ…赤也…』

柳は充血した赤也に手足を拘束されていた。

そして、少しずつ、身体を蝕まれてい
く。

何故か、力が出ない。抵抗しようにも身体が鉛のように重い。

赤也の手が柳の身体を愛しく撫でる。

赤也の両目が妖しく光り、ペロリと赤也は舌をなめる。

その一部始終を恐怖で引きつった顔で見ていた柳は

クモの巣に捕らわれた獲物だと思った。

赤也の後ろの天窓から映る赤く染まった月をその両目に刻みながら

――柳は逃げる術もなく、

ただ、狂気に駆られた後輩に身を委ねることしか出来なかった。

「!」

柳は布団から勢いよく、起き上がった。

全身から、額から汗が噴出している。

「ゆ…夢なのか…」

柳は息を整えながら、夢であることに安堵した。

まだ、身体に残る恐怖と、後輩の狂気と化した赤い目。

一気に柳は、脱力感に襲われていた。

――赤也――

後輩をあそこまで追い込んだのは自分≠ナある柳。

彼の気持ちを知っていたのに、自分には真田≠ェいる。

という言葉だけで終わらせようとした。


そう、可愛い後輩だから。

誰よりも、愛しいと、思うから。

傷つけたくはなかったから

何よりも、柳自身が認めたくなかった。


後輩から告白されたなど。

――弦一郎…俺は――

柳は静かに頬をぬらすと、胸の傷をそっと、抱え込んだ。

――俺の罪――


――そして罰――


「え?柳先輩帰っちゃったんでスか?」

学校のテニスコートで赤也は残念そうにつぶやいた。

「えぇ、体調が優れないというので今日部活は休むといっていましたよ」

柳生は眼鏡を整いながら、そう言った。

「切原君、そんなに残念ならば、柳君の分も練習しましょうか?」

柳生は赤也の練習メニューと柳の分のメニューを目の前に突きつけた。

「そんなぁ〜」

赤也の悲痛な叫びは空まで届いた。


「ここは」

柳はふと、気づいたように声をあげた。

朝から体調が優れず、部活を休んだはいいが


考え事をしていて、こんな所まできてしまっていた。

こんな所――電車で揺られて数十分の所にあるテニスクラブ。

そう、真田と柳が出会った場所でもあった。

無意識の中でも心は真田の元へ行きたがってしまうのか。

柳はそう、思うと思わず、笑みがこぼれる。

――明日、帰ってくるというのに――

小学校の頃、乾とダブルスを組んでいたとき、このテニスクラブで真田と出会った。

初めてくるテニスクラブだったが、真田は柳と目が合った瞬間


『新顔だな。俺と試合しないか?』

そう言った。勝負はつかなかった。それからだった。

真田のテニスが好きになったのは。

中学も迷わず、立海を選んだのも、もう一度、真田に会いたかったからだった。

――弦一郎――

柳はそっと、愛しい名をつぶやきながら、テニスコートを見つめ続けた。


「蓮ニ」

突然、名を呼ばれた柳は振り返った。

「貞治?」

そこにいたのは小学生の頃、ダブルスを組んでいた乾貞治だった。

「奇遇だね。こんなところで会うなんて」

乾はそういいながら、眼鏡をかけ直す。

「あぁ」

そんな柳の生返事に乾は彼が元気がないことを悟った。

「どうかしたのか、蓮ニ?悩み事があるなら、相談に乗るが」

「いや、大丈夫だ。心配させてしまったようだな」


相手を心配かけまいと、無理やりに笑みを浮かべた。

それが、乾にはこたえたようだった。ふわっと乾は柳を抱きしめた。

「貞治?」

柳の顔は困惑気味。

「蓮ニ、無理はよくない。お前は昔からそうだった。それに…」

―そんなお前を見たくない―

乾はそう、付け足そうと思ったが、踏み留めた。乾は柳が好きだった。

一度も自分の気持ちを伝えないまま、柳は引越ししてしまった。

離せ…貞治」

「蓮ニ、正直お前が立海に行ったと風の便りで聞いた時は本気で真田に嫉妬してたよ」

―俺はお前が好きだったんだ―

乾は柳を抱きしめながら、静かに言葉を続けた。

「え」

柳の顔が一瞬、固まった。

夢の中の赤也とこの間の赤也の二人の赤也が乾に重なる。

恐怖で柳の身体から血の気が引く。

「や…やめろっ!」

柳は乾を突き飛ばす。乾はその柳の反応に驚いていた。

「すまない。そんなに驚くなんて…」

乾は気がついた。

柳の視線が自分を越え、その後ろにいる何かを捕らわれていることに。

「蓮ニ?」

「や、やめろ」

近づかないでくれ―

柳を捕らえて離さない幻に柳は苦痛に顔を歪めた。

「蓮ニ…大丈夫か?」

「やめろ」


あの日の赤目の赤也と夢で見た赤也が交錯する。

―赤也っ!―

柳は胸を押さえ込むと、そのまま地面に崩れた。

「蓮ニ!」

乾は柳を抱え込むと、名を呼び続けた。



胸の傷が痛い

『罪』を犯した者への烙印

永遠に消えない傷

それは『罰』



「ここは?」

柳は目覚めた。見知らぬ天井。

いや、記憶の底深くでは知っている天井。

柳はモソッと身体を起こす。

「気がついたか、蓮ニ」

椅子に座った乾がそこにいた。

「大丈夫か、突然倒れたものだから、驚いたよ」

乾はそう、言って状況を説明した。

ここはテニスクラブの医務室で、あのあと倒れた柳を乾がここまで運んだらしい。

「そうか、世話になったな、貞治」

「いや、大したことじゃない。でも…」

乾は眼鏡のフレームをかけ直してから、柳に問う。

「何があったんだ。お前にしては尋常じゃなかった」

柳は何も答えない。

いや、いくら幼馴染でもいえない事もある。しばらく、沈黙が流れた。

「貞治…もし…」

柳は布団を見つめている。

いや何処か遠くを見ているのかも知れない。

ふと、話を切り出したが、柳はそこまでいうと、何でもない。といって止めてしまった。

「蓮ニ、俺ではお前の役には立てないかも知れない。
でも、自分の気持ちに素直になることも大事だと思うよ」

乾はそこまで言うと、席を立った。

「すまないが、ちょっと席を外す」

柳はあぁと言って、うなずいた。乾が外に出て行った。

「先輩、どうっすか?」

乾と入れ違いに入ってきたのは、青学の2年、海堂だった。

「貞治なら、入れ違いに席を立ったが?」

柳は何故、海堂がここにいるのが不思議だったか、乾と一緒にいたのかも知れない。

そう、思った。

「すぐ、戻ると思うが?」

海堂は柳の顔をじっと見つめている。

その視線が何かを訴えかけているような気がしたが、柳は様子を伺うことにした。

「待たせてもらう


海堂はボソリというと、先ほどまで乾が座っていた椅子に腰掛けた。

「…」

「…」

お互い、話すこともなく無駄に時間が過ぎる。

スッと、海堂と柳の視線が合う。

「あんた乾先輩の幼馴染なんだろ
?」

柳は口の悪さに少しムッとしたが、あえて顔には出さなかった。

「そうだが俺と貞治の関係でも気になるのか?」

その柳の言葉に海堂はさらに柳を睨んだ。

図星だと柳は思った。

海堂と乾のことは少し前から情報として彼の頭に入っていた。

今日、乾と会った時は、彼は一人だった。

それから乾に抱きしめられ、柳が倒れた。

途中から、その光景を見てしまったのかも知れない。

柳は誰に向けるのでもなく、クスッと笑みをこぼした。

「貞治を信じてやれ」

「言われるまでもねぇっ!」

海堂はその場から立ち上がって、勢いがついたまま、部屋を出て行った。

―信じてやれか―

柳は誰もいなくなった部屋で一人苦笑した。

赤也とあんなことがあってから、赤也を避けていた。

信じていると心で思っていても、以前のように、

ふるまうことが出来なくなっている自分に気がついた。

信じられないそんな思いがどこかにある。

赤也もそんな柳に気づいている。だから何も言わない。

真田が帰ってくれば、すぐにそんなことバレてしまう。

二人の間に何があったのかさえも。

―弦一郎、赤也―

柳はベッドから起き上がると、服装を整えた。

少しシワがよっている制服だったが、仕方がないと思った。

荷物を担ぎ、部屋を出た。そこで、乾に出会った。

「もう大丈夫なのか?」

「あぁ、少し用を思い出してな。迷惑をかけた。それと…」

柳は乾に笑みを送ると、大切にしてやれ。と一言いった。

「あぁ、お前こそな」

それだけ言うと、二人はそれぞれ、後にした。


プルプルプル

真田の携帯が鳴る。合宿は今日が最終日だった。

夕方の練習を終え、部屋で休んでいた真田は電話を取った。

最近、彼は不機嫌だった。

電話しても柳が電話の向こうに出ることはなかったからだ。

一抹の不安を抱えながらの練習ははっきりいって、気分のいいものでもなかった。

それでも、合宿を抜け出すことは出来なかった。

『弦一郎か?』

久しぶりに聞く柳の声。

電話ごしとはいえ、その声を聞いただけで真田の顔が緩む。

「どうしたんだ、何かあったのか?」

『明日、迎えに行く。赤也も一緒に…』

柳の声が少し暗いことに真田は気づいていたが、あえて何も聞かなかった。

「そうか。蓮ニやっとお前に会えるな」

『あぁ』

二人はそれだけいうと、電話を切った。



つづく